衝突する原子―質量の秘密を解き明かす

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ダルムシュタットの巨大建設現場では、粒子加速器の拡張工事が進んでいます。竣工後は荷電原子を光速近くまで加速でき、多くの研究が前進する可能性があります。ただ、コストの上昇も予想されています。

Oliver Pietschmann(文)。dpa

【ダルムシュタット(dpa、2022年7月31日)】それは言わば巨大な研究室で再現される宇宙と地上の、ほんの一瞬で消え去ることもある最小の世界です。最小の粒子をほぼ光速で大量に衝突させ、地球上にない状態を作り出すことで、新元素の発見や、治す手立てがなかった癌患者を救う治療法の開発、基礎研究の推進が可能になります。フランクフルトの南、ダルムシュタットにあるヘルムホルツ協会傘下の重イオン研究所(GSI)で建設中の粒子加速器が完成すれば、世界中の研究者はより多くの、そしてより大きなチャンスを手にすることになります。

ダルムシュタットの広大な敷地で進むのは、世界有数の大型研究プロジェクトである国際加速器施設FAIR(Facility for Antiproton and Ion Research, 反陽子・イオン研究施設)の建設です。現在建設中の新たな加速リング(周長1.1km)では、荷電原子であるイオンが巨大な磁石によって制御され、真空中でほぼ光速(約30万km/秒)に達します。

GSI・FAIRのサイエンティフィックマネージングディレクター、パオロ・ジューベリノ教授によると、この施設を実験に利用できる研究者の数は、年間1000人から3000人ほどに増える見込みです。かつて欧州合同原子核研究機関(CERN)で実験を行ったこともある同教授は「長年にわたり、世界の何万人もの研究者がFAIRで実験する機会を模索しています。先頃ジュネーブで再稼働したCERNの粒子加速器LHCは、FAIRよりはるかに大規模ですが対象の幅が非常に狭いことから、FAIRが提供する研究のチャンスの幅の広さが際立ちます」と語ります。

2027年に予定されている新たなリングの完成により、GSIでは既存の施設と合わせて2つの環状加速器と1つの線形加速器の供用が始まり、元素はラボ実験前に秒速28.5万kmまで一気に加速できるようになります。インゴ・ペーターGSI広報担当は「線形加速器は車のギアの1速のようなものです。元素は加速リングに打ち込まれると、磁石の力でビームダクト内の軌道を周回しながら加速していきます。あらゆる元素を加速できるのは、世界でもこの施設だけです」と話します。

ここは新元素発見の場でもあります。ユッタ・ルルディエGSI広報担当は「原子核同士の衝突によって新しい原子核が形成される可能性があります。見つかった元素は他のラボによる確認が必要です」と言います。次いで独立機関の認定が必要になります。GSIでは既に、周期表の原子番号107から112までを占める6つの新元素が発見されています。ペーター氏は「宇宙でしか生じないような温度や圧力、密度が生成されれば、GSIでの実験を通して宇宙の現象に関する理解を進めることができます」と話します。

家屋に匹敵する大きさの検出器を用いた基礎研究で解明しようとしているのは、質量の秘密です。ルルディエ氏は「質量の概念はまだ全く解明されていません。それは粒子の構成と質量メカニズムの機能とを理解することです」と言います。何百人もの研究者が質量の起源という謎に取り組んでいます。GSIによると、480トンの鉄を持ち上げる強力な磁場を発生させる大型検出器も存在するそうです。

欧州宇宙機関(ESA)との協力のもと、宇宙でのミッションに向けた研究も行われています。ルルディエ氏は「有人ミッションの放射線リスクや、物質に対する潜在リスクも調査したいと考えています」と言います。ペーター氏によると、1997年から2008年には線形加速器を用いた深部脳腫瘍の治療も行われました。治療の手立てがないと思われた患者450人にピンポイントでイオンビームを照射し、腫瘍細胞を殺傷するというもので、今ではハイデルベルクやマールブルクの他、国外のクリニックでも実施されています。ペーター氏が「GSIでは更なる治療法の開発に取り組んでいます」と話すように、動く臓器の腫瘍や不整脈に対する治療法も検討中ということです。

外部の研究グループが実験を希望する場合は費用の自弁が必要です。インフラは現地で供与されます。実験の希望に対しては、関連性審査の後で推薦が行われます。実験供用は目下休止中ですが、FAIR向け高性能磁石等のテストが実施されている他、予想される膨大な量のデータ処理に備え、最新のコントロールセンターと6階建て相当の省エネ型データセンターが建設中です。同センターでは毎秒50億回超の演算が可能とのことです。

ドイツ連邦教育研究省(BMBF)によると、現在コストは約31億ユーロで、建設当初と比べて大幅に増加しています。2021年にはコロナの世界的拡大や建材価格の上昇、グローバルサプライチェーンの混乱により外部評価が実施されましたが、ウクライナ戦争はまだ検討対象に入っていませんでした。

インフレ、戦争、コロナ、サプライチェーン問題―GSI・FAIRのテクニカルディレクターで、大型建設プロジェクトのスペシャリストでもあるヨルク・ブラオロック氏はコストの増加を確信しており、「状況を総合的に見ればコスト上昇は確実」と言います。その他、主に磁石を供給するはずだったロシアとの協力が制裁により凍結されてしまってはいるものの、供給元の代替が可能であり、技術上の危機に陥ることはないと説明します。氏とともにGSIの理事会を構成するジューベリノ教授は、FAIRが基礎研究に関してもノーベル賞級の発見の場となりうることを確信しています。

公開日: 2022年8月24日