日独で進むバイオダイバーシティ(生物多様性)保全のための努力

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2021年8月25日

【文:熊谷 徹】

ドイツ連邦教育研究省(BMBF)は数えきれない程の研究プロジェクトを進めているが、その中で私が「環境保護を重視するドイツらしい」と感じるのが、バイオダイバーシティ(生物多様性)の保全を目指すプロジェクトだ。BMBFは、「全世界で約100万種類の動植物が絶滅の危機にさらされている。生物多様性の減少は、科学界、経済界、政界が直面する大きな試練の一つだ」と指摘する。

自然破壊により、生物多様性の減少が急速に進む

国連は1993年12月に「生物の多様性に関する条約」を発効させ、168の国や機関が署名した。絶滅の危険にさらされている動植物を守り、地球上のエコシステム(生態系)を保全することが目的だ。これらの国や機関は、地球上の住む多様な生物を生息環境とともに保全するための対策を取ることを約束した。
世界中の生物多様性は、農業用地の拡大、森林の伐採、化学肥料や殺虫剤の多用などによって著しく減りつつある。
環境保護団体・世界自然保護基金(WWF)が2020年に公表した「Living Planet Report 2020」という報告書によると、WWFが約2万1000種類の哺乳類、鳥類、魚類、両生類、爬虫類を調査したところ、その数は1970年から2016年までに68%も減少していた。WWFによると、特にコンゴのゴリラやコスタリカの亀、中国のチョウザメが絶滅の危機に瀕している。ドイツではRebhuhn(ヨーロッパ・ヤマウズラ)やKiebitz(タゲリ)という鳥の数が激減している。
ドイツでも特に20世紀に入ってから、環境保護団体やメディアが、世界各地で起きている昆虫や野鳥の種類の減少について頻繁に報告するようになった。
たとえばドイツの公共放送局ARDのニュース番組ターゲスシャウは、2020年1月に「シドニー大学が2018年に発表した報告書によると、シドニー周辺の地域の昆虫の41%で数が減少しており、3分の1は絶滅の危機にさらされている。ドイツの環境保護団体BUNDが発表した昆虫に関する研究報告書によると、ドイツで見られる561種類の蜂の内、41%で数が減りつつある」と報じている。
蜂は、植物の花粉を運ぶ上で重要な役割を果たしているので、蜂の数の減少は農作物の収穫にも大きな悪影響を及ぼす。

BMBFが生物多様性に関する研究プロジェクトを実施

ドイツ連邦政府は、国連の条約の内容を国内で実行するために、2007年に「生物多様性国家戦略」を閣議決定した。この国家戦略には、希少動物が生息する地域を多様性ホットスポットに指定して開発から守ることなど、約340の対策が含まれていた。
BMBFは2019年2月に「生物多様性保全のための研究イニシアチブ」というプロジェクトを開始した。このイニシアチブは、次の3つの目標を持っている。

1) 生物多様性の現状を的確に把握するための新しい技術と方法を開発する。
2) 生物多様性の減少の原因、現状、その影響を体系的に理解する。
3) 生物多様性の減少を食い止めるための対策を提案する。

BMBFがこのプロジェクトを始めた理由は、農業など人間の営みが生物多様性を減らすメカニズムが、まだ完全に把握されていないからだ。たとえば蜂など昆虫の数の減少の原因の一部は、農業に使われる殺虫剤だと推測されているが、そのメカニズムは科学的な研究によって立証されていない。具体的なデータを収集して、生物多様性の減少のプロセスを科学的に裏打ちしなくては、政府は具体的な対策を打ち出すことができない。
動植物、昆虫の数を推定することも容易ではない。これまで科学界は全世界で約216万種類の動植物、昆虫を記録しているが、その内約100万種類は昆虫である。しかし実際にはまだ発見されていない昆虫も多数生息しており、その数はこれまでに確認されている昆虫の種類を上回ると見られている。つまり我々人間は、生物多様性の現状すらまだ正しく把握できていないのだ。
したがってBMBFは、まずドイツの動植物、昆虫の種類や数を最新の方法によって推定し、その数がどのくらいの期間にどれだけ減っているか。なぜ数が減っているのかをデータによって明らかにした上で、政府に対策を提言しようとしているのだ。

AIを生物多様性の保全に利用

BMBFは生物多様性を保全する努力に、人工知能(AI)を活用することを提案している。農家にとっては、収穫量を最適化するために農作物を害虫や雑草などから守る必要があるが、生物多様性を維持するには、殺虫剤や除草剤などの使用を避けなくてはならない。
BMBFはホーエンハイム大学で「農業4.0 ― 化学物質を使わずに農作物を守る方法」というテーマの研究を行っているエンノ・バース教授と協力して、農業のAIによる効率化についてのプロジェクトを進めている。
たとえばAIを使えば、農業機械が農作物に害を与える雑草と与えない雑草を自動的に区別して、害のある雑草だけを刈り取ることが可能になる。こうすれば、生物多様性に悪影響がある除草剤を使う必要はなくなる。BMBFはこうした「未来の農業経営」を研究するプロジェクトに、4000万ユーロ(52億円・1ユーロ=130円換算)の予算を投じて助成している。
日本政府も生物多様性の保全を重視しており、2012年に「生物多様性国家戦略2012―2020」を閣議決定した。この国家戦略は約700の具体的な施策を含み、50の数値目標を設定している。
私はドイツから見ていると、日本のメディアでは生物多様性についての報道がドイツよりも大幅に少ないと感じる。ドイツでは、動植物、昆虫の数の減少についてのニュースが多く、市民も強い関心を持っている。日本で生物多様性について市民の関心を高めるには、まずメディアによる報道を増やす必要があると思う。

DWIH東京シリーズ「在独ジャーナリスト 熊⾕徹⽒から見たドイツの研究開発」の全記事はこちら

熊谷徹氏プロフィール

1959年東京生まれ。1982年早稲田大学政経学部経済学科卒業後、NHKに入局。日本での数多くの取材経験や海外赴任を経てNHK退職後、1990年からドイツ・ミュンヘンに在住し、ジャーナリストとして活躍。ドイツや日独関係に関する著書をこれまでに20冊以上出版するだけでなく、数多くのメディアにも寄稿してドイツ現地の様子や声を届けている。