新型コロナ・パンデミックの精神的な影響と戦うドイツ政府・医学界

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2021年6月7日

【文:熊谷 徹】

コロナ・パンデミックは人々の身体や生活基盤、国民経済だけではなく心をも蝕む。日本同様にドイツの学界や論壇でも、新型コロナ・パンデミックが人々の心に与える悪影響が深刻な問題として取り上げられている。

ロックダウンが子どもの精神に大きな悪影響

特に懸念されているのが、コロナが子どもたちの心に落とす影である。ドイツでは、「パンデミックの最大の被害者は子どもと若者だ」という意見が出ている。この国の子どもたちは、2020年3月の最初のロックダウン以来、長期間にわたって通学を禁止され、自宅での学習(ホームスクーリング)を余儀なくされた。友だちと遊んだりスポーツをしたりする機会も大幅に減ってしまった。通学が再開されても、児童・生徒たちに毎日コロナ検査をするよう求める学校もあった。
パンデミックは、家庭でのストレスレベルを大幅に引き上げた。ドイツでは、両親ともに会社や役所、商店などで働くケースが多い。ロックダウンのために多くの両親も自宅でテレワークをするようになった。工場や商店で働けず、事実上の失業状態に陥った親も多い。両親が不安やストレスに苛まれていると、子どもたちにもすぐに伝わる。このような状態が1年半近く続いた。
学生たちもキャンパスに行くことができず、全ての大学がオンライン講義を行った。大学に入ったのに、教授や友人に全く会えない学生たちが激増し、自宅でPCの画面だけを見つめる生活が、何ヶ月も続いた。生活費を稼ぐためのアルバイトも困難になった。ロックダウン期間中には居酒屋などが何ヶ月も閉鎖されたため、友だちとビールを飲んで憂さを晴らすこともできない。

子ども・若者の3分の1に悪影響の兆候

こうした経験は、子どもたち・若者たちの精神に大きな影響を及ぼしている。2021年2月10日に、ハンブルク・エッペンドルフ大学医療センター(UKE)が発表した研究報告は、医学者や政治家、教育関係者の間で注目された。UKEで子ども・若者のための精神医療クリニックを率いるウルリケ・ラーベンス・ズィーベラー教授が実施した調査によると、調査対象になった子どもたちの3人に1人が、パンデミックによる心理的・精神的な悪影響の兆候を示していることが明らかになった。
COPSY(Corona und Psyche=コロナと精神)第2次調査と呼ばれるこのプロジェクトでは、UKEの医学者たちが2020年12月中旬から2021年1月中旬までに、約1000人の子ども・若者(7歳~17歳)と約1600人の両親にオンライン質問票でアンケートを実施した。2020年6月に実施した第1次調査でも、子どもたちの80%が回答を寄せた。11歳から17歳の子どもたちは質問票に自分で記入し、7歳から10歳の子どもについては両親が答えを記入した。
その調査結果によると、「コロナ・パンデミックに心を悩ませている」と答えた子ども・若者の比率は2020年6月には72%だったが、第2次調査では85%に増加した。また、コロナ前には「自分の生活の質が下がっている」と答えた子ども・若者の比率は30%だったが、第1次調査では60%、今回の調査では70%と大幅に増えている。
UKEの研究員たちは「コロナの影響で不安を抱いたり、泣きやすくなったり、夜中に目が覚めたりするなど情緒不安定の傾向が、回答者の30%に見られた。腹痛や頭痛、気分の落ち込み、親に対する反抗的な態度なども見られた。こうした傾向を示す子どもの比率は、コロナ前には20%だった」と指摘している。
また子どもや若者の45%が、「学校に関する問題が、2020年春のロックダウンの時よりも増えた」と答えた他、多くの回答者が「家族の中で争うことが増え、両親や友人との関係が悪くなった」と語っている。
ラーベンス・ズィーベラー教授は、「今回の調査から、問題を抱えた家庭の子どもたち・若者たちのために、精神面での健康を維持するためのコンセプト(対策)を、社会として準備する必要があることがわかった。そのためには学校も、常に子どもたち・若者たちと連絡を取り、彼らが孤立しないように気を配ることが重要だ」と指摘した。
教授が「問題を抱えた家庭」と指摘するのは、所得が低い家庭や、親が失業している家庭、親が子どもに対して暴力をふるう家庭、外国から移住してから間もないために言語や文化の壁に悩み、ドイツ社会に十分に溶け込んでいない家庭などである。
さらにラーベンス・ズィーベラー教授は、「我々は今後、パンデミックによるロックダウン中に、家庭や子ども・若者の精神的な重荷や欲求にこれまでよりも配慮しなくてはならない」と述べ、政府や医学界が、今回の経験を基にして子どもたちの心の健康を守るための枠組みを作る必要があるという見解を打ち出した。

両親の77%が「コロナが子どもの心に悪影響」と回答

ハノーバーの公的健康保険運営機関KKHは、毎年子どもや若者の心の病に関する統計を発表している。KKHが6月3日に発表した調査結果によると、回答を寄せた1000人の父母の内77%が、「コロナ・パンデミックが子どもの心の重荷となり、ストレスを引き起こしている」と答えた。
多くの親たちが、コロナが子どもたちの心に長期的な悪影響を及ぼすことを懸念している。KKHによると、摂食障害を持つ子どもの数は、2020年前半には前年同期に比べて60%も増加した。また鬱病や燃え尽き症候群と診断された子どもの数も、前年同期比で30%増えている。
KKHは2019年に6~18歳の子ども・若者たち20万9332人に関するデータを調べた結果、12.8%に相当する約2万7000人が心の病のために医師による治療を受けていた。この比率をドイツ全体に当てはめると、約130万人の子どもや若者が心の病に苦しんでいることになる。KKHによると、ドイツでは2009年から2019年までの10年間に、心の病のために医師の治療を受けている子どもや若者の数が97%も増えているが、KKHは「コロナ・パンデミックがこの傾向に拍車をかけるのではないか」と懸念している。
コロナ・パンデミックで心の病に苦しんでいるのは子どもたちだけではない。ドイツでは各地の精神科医たちから、「2020年の12月以降、患者の数が例年に比べて大幅に増えた。一部のクリニックは満床になっている。これはパンデミックの影響だ」という声が頻繁に聞かれる。その原因は、パンデミックによって生活が激変したことだ。感染リスクを抑えるための外出・接触制限やテレワークの導入によって同僚や友人との接触が減り、失業の不安が高まっていること、家庭内でのストレスの増加などによって、大人の間でも精神的・心理的な不調をきたす人が増えているのだ。
公的健康保険運営機関pronova BKKは2020年12月に154人の精神科医や精神療法士に対するアンケートを実施した。その結果、回答者の82%が「コロナ前に比べて不安神経症の患者が増えた」と答えた他、79%が鬱病患者の増加、74%が適応障害患者の増加を報告している。
回答者の3分の2が、「コロナ前に比べると、身体的な原因がないのに不眠や疲労、意欲の減退に悩む市民の数が増えた」と述べている。アンケートに参加したある医師は、「コロナ・パンデミックのために、人々の生活は大きく変わってしまった。マスク着用、社会的距離、接触制限などの新しい義務や規則、テレワーク、失業リスク、感染リスクなどのために多くの人々が強い不安を抱いている。この不安が精神疾患の患者の増加につながっている」と語っている。

ドイツ政府、「心の病」と「青少年の健康」に関する研究体制を強化

ドイツ連邦政府は、国民とりわけ子どもや若者の精神面での健康を守るべく、対策を取り始めている。2021年3月10日に連邦教育研究省(BMBF)のアニヤ・カルリチェク大臣は、これらのテーマについて研究する2つのネットワークを構築することを発表した。
その内の1つは、心の病について予防、診断、治療のための方法を研究する「ドイツ精神健康センター」で、次の6つの都市に拠点が置かれる。

都市 コーディネーター
ベルリン シャリテ医科大学
ボーフム ボーフム・ルール大学
イエナ イエナ大学病院
マンハイム 精神の健康のための中央研究所
ミュンヘン ルートヴィヒ・マクシミリアン大学
テュービンゲン テュービンゲン大学

もう一つは「ドイツ青少年健康センター」で、ハンブルクのUKEやライプツィヒ大学など7つの大学・病院が構成する。このネットワークの研究対象は、子どもたちや若者の健康である。

都市 コーディネーター
ベルリン シャリテ医科大学
ゲッティンゲン ゲオルグ・アウグスト大学
グライフスヴァルト グライフスヴァルト大学病院
ハンブルク ハンブルク・エッペンドルフ大学医療センター
ライプツィヒ ライプツィヒ大学
ミュンヘン ルートヴィヒ・マクシミリアン大学
ウルム ウルム大学

BMBFはそれぞれのセンターの研究プロジェクトに対し、50万ユーロ(6500万円・1ユーロ=130円換算)の助成金を出す。
ドイツでは大学や病院などが、多くの国民が患っている病気(国民病=Volkskrankheit)に対する治療法を探り、最新の知見を迅速に共有するための6つの研究ネットワークを作っている。

• ドイツ神経症センター(DZNE)
• ドイツ肺疾患研究センター(DZL)
• ドイツ感染症研究センター (DZIF)
• ドイツ心臓・循環器研究センター (DZHK)
• ドイツ糖尿病研究センター (DZD)
• ドイツ・ガン研究センター (DKTK)

つまりパンデミックによって心の病に苦しむ子ども・若者が増えていることから、ドイツ政府と学界は、新たな2つの研究ネットワークを構築することによって、精神疾患、特に子どもの心の病の診断、治療、予防のための総合的な対策を打ち出そうとしているのだ。
ドイツでは6月3日までに市民の43.8%が1回目のコロナワクチン接種を受け、19.6%が2回の接種を完了した。5月以降死者や重症者、新規感染者の数が減っており、各州政府がロックダウンを次々に緩和している。
しかしウイルスが消えたわけではなく、コロナと共生を強いられる日常は続く。世界各地で様々な変異株が見つかっており、楽観は禁物だ。秋から冬には再び感染者数が増え、ドイツでロックダウンが必要になる可能性がある。その意味でも、政府と医学界にとってはロックダウン時の心の健康を守るための体制を早急に整える必要がある。

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熊谷徹氏プロフィール

1959年東京生まれ。1982年早稲田大学政経学部経済学科卒業後、NHKに入局。日本での数多くの取材経験や海外赴任を経てNHK退職後、1990年からドイツ・ミュンヘンに在住し、ジャーナリストとして活躍。ドイツや日独関係に関する著書をこれまでに20冊以上出版するだけでなく、数多くのメディアにも寄稿してドイツ現地の様子や声を届けている。