多様な脱炭素社会で生かす ドイツでのサバイバル経験

西さんは、同志社大学で機械工学を学んで卒業した後、修士課程からドイツ・エアランゲン大学に留学し、博士号も取得されました。

その後日本に戻り、東京大学におけるポストドクター(ポスドク)などいくつかの職歴を経て、現在は電力中央研究所で上席研究員として、再生可能エネルギーを使ったグリーン水素製造の実験研究や、脱炭素化の鍵を握ると言われる水素サプライチェーンの経済性・環境性評価に携わられています。

西さんに、修士課程から留学する苦労や面白さ、そして留学で得た力は日本に帰ってからどう生かされているのか聞いてみました。

―どうして研究者、留学を志したのですか

生まれ育ちは、自然豊かな奄美大島で、好奇心旺盛な読書好きの子どもでした。小学校の高学年くらいから「哲学をして身を立てたい」という思いがありました。ここでいう哲学とは、物事を深く突き詰めて考える、広い意味でのサイエンスのことです。形の無いものを求め、考え続けていく人になりたいと思っていました。「小学6年生の時に将来の夢は?」と聞かれて「仙人になること」と答えた時に、母が困惑していたのを今も覚えています。

―どんな分野であっても何か問題が起きた時にどうやって解決したら良いのか、その方法を博士号取得までのトレーニングで身につけたことが、ずっと生かされています。

小学校低学年の頃、近所に住んでいたカナダ人留学生に英語を習っていたのですが、その頃からぼんやりと外国に行きたいと考えるようになっていました。新しい、知らない土地の雰囲気や考え方に触れることは楽しそう! と期待し始めていたのです。

小学校高学年で家族と大阪に転居し、同じ日本の中なのにカルチャーショックを受けました(笑)。それ以降も、もっと違うであろう海外に留学したいという熱は高まり続けました。

―なぜドイツを選んだのですか

大学では第2外国語に、たまたまドイツ語を選びました。せっかく毎週何時間も授業で学ぶならモノにしてみようと、他の基礎科目と同じぐらい一生懸命勉強し、学内の試験に合格して大学2年生の時に1か月だけドイツのミュンヘンでホームステイすることができました。

大学4年生の夏、就職か進学か選択を迫られていた頃、それまで忘れてかけていたドイツ留学熱が、ほとんど神がかり的に再燃し、また大学の掲示板で、たまたまドイツ学術交流会(DAAD)の奨学金の募集の知らせを見つけ「あ、これだ」と思って応募しました(笑)。締め切りまで2週間しかなかったのですが、なんとか申請書を書き上げて速達で送り、書類選考と面接を経て合格しました。

―相手が研究者であっても政治家であっても、核心を突く深い内容について、英語やドイツ語で問題なくコミュニケーションが取れることは、ドイツ留学経験の賜物であると思っています。

それまで受け入れ先も決まっておらず、申請書を書く時には、当時の指導教官に何人かドイツ人の教授をご紹介いただき、その方々に急いで推薦状を書いていただきました。

工学系ではアメリカを留学先に考える人が多そうですが、私はちょっとへそ曲がりだったので、それ以外の国に行きたいとも思っていたのです。

―修士課程はどうでしたか

修士論文を書いたのはエアランゲン大学のフランツ・ドゥルスト教授が運営されていた流体力学研究室です。流体力学は日本では機械系学科で学ばれることが多い科目ですが、ドイツの大学では化学工学科の一基礎科目として扱われることも多いです。そのため、修士課程では当時できたてだったエアランゲン大学工学部化学工学科の国際コースに入り、単位を取るために、流体力学を含む化学工学の7つの基礎科目を、ほぼ一から勉強しなければなりませんでした。当時の国際コースには、ベネズエラ、メキシコ、トルコ、インド、パキスタン、中国、タイ、インドネシアなど世界中から約20人の学生が集まっていました。

研究が中心の日本に比べると、ドイツの修士課程では講義、時には1科目で3時間にもおよぶ試験、実験実習とレポートの準備に追われます。特に最初の半年は、7つの基礎科目の内4つに合格しないと退学処分になるということで、勉強面でも精神面でも留学中で一番大変な時期でした。国際コースの同級生同士で毎日浮かない顔を突き合わせては、勉強の心配や異国暮らしの苦労を分かち合いました。その時の友達は、国籍を超えて理解し合える、かけがえのない良い友人となり、今も機会があれば会ったり、SNSなどで連絡を取り合ったりしています。

博士課程から留学すれば自分の専門分野だけに集中でき、そこまでの苦労はなかったかもしれません。でも海外にずっと出たかった私にとって、修士からでも遅いぐらいで、後悔はありませんでした。

博士号取得時の集合写真。博士号取得者自身がホストとなり感謝の意を表す謝恩会中のイベントとして、ドゥルスト教授(前列右端)が牽くリヤカーに乗って、理工学部のキャンパスを一周するパレードで撮影。リヤカーに乗っているのが西さん(前列右から2人目)。 (写真:西さん提供)
博士号取得時の集合写真。博士号取得者自身がホストとなり感謝の意を表す謝恩会中のイベントとして、ドゥルスト教授(前列右端)が牽くリヤカーに乗って、理工学部のキャンパスを一周するパレードで撮影。リヤカーに乗っているのが西さん(前列右から2人目)。 (写真:西さん提供)

―どんな研究をされているのですか

学士課程の頃は、ディーゼルエンジンに関する熱流体力学分野のテーマで、燃料の組成を変えてススの排出を低減させる目的の研究を行いました。

修士課程では、人間の呼吸の単位時間当たりの流量をその場測定し、吸ったり吐いたりをシミュレーションする機械を作っていました。

博士課程では、流体力学のはじまりとも言える非常に基礎的な研究に取り組みました。円管内の層流から乱流への遷移について、レイノルズ数に着目して精密な実験を行いました。こういった基礎研究には、日本でもあまり研究費がつかない傾向があります。私の場合は、ドゥルスト研究室でよく取られる方法ですが、企業プロジェクトなど関連する分野の研究をアルバイトのように実施して報酬を企業から頂き、自分の博士論文用の研究資金に充てていました。

就職口としては、そのまま同じ研究室でポスドクとなり、研究を継続するという選択肢もありましたが、一度帰国してみようと思ったので、東京大学で高温動作の固体酸化物形燃料電池(SOFC)の研究に取り組みました。その後産総研では、同じSOFCのセラミックスの材料について、慶應義塾大学では熱流体力学とSOFCについて、電中研に移ってからは、再生可能エネルギーを使って水を電気分解して作るグリーン水素に関連する実験研究などを行っています。今後ますます拍車がかかる社会の脱炭素化にとって重要な、水素サプライチェーンのコスト試算や環境性の評価など、新しい分野にまで手を広げています。そのため、その道の専門家である電中研内の社会経済研究所の人達にも教えてもらいながら、研究を進めています。しかし、どんな分野であっても何か問題が起きた時にどうやって解決したら良いのか、その方法を博士号取得までのトレーニングで身につけたことが、ずっと生かされています。また水素については、諸外国も大変注目しているので、現職では国内外の研究機関などと、割と頻繁に意見交換などの場が設けられます。相手が研究者であっても政治家であっても、核心を突く深い内容について、英語やドイツ語で問題なくコミュニケーションが取れることは、ドイツ留学経験の賜物であると思っています。

2022年に立上げたばかりの、アルカリ形水電解実験装置周辺の写真。再生可能エネルギーからグリーン水素を製造するPower to Gas関連研究など、取材に訪れた記者に電力中央研究所の取組について説明しているところ。西さんによると、研究所の成果を広く社会にアピールすることも、近年では大切な仕事の一環だという。 (写真:西さん提供)
2022年に立上げたばかりの、アルカリ形水電解実験装置周辺の写真。再生可能エネルギーからグリーン水素を製造するPower to Gas関連研究など、取材に訪れた記者に電力中央研究所の取組について説明しているところ。西さんによると、研究所の成果を広く社会にアピールすることも、近年では大切な仕事の一環だという。 (写真:西さん提供)

―日本の大学の研究室との違いは

日本で博士課程の学生は「ネギを背負ったカモ」などと呼ばれることもあります。学費を払ってくれる上に、研究成果を出してくれるという意味です。一方ドイツでは、博士課程の学生でも給料が研究室から支払われるので、一人前の研究者として扱われ、相応の成果が求められるということが日本と違う点の一つです。

修士課程ではドイツ学術交流会の奨学金を得て、博士課程では研究室からお給料を頂いて生活できたので、金銭的な不自由は全くありませんでした。平日、土日、祝日関係なく、時には明け方まで、周囲にドン引きされるほど(笑)実験や研究を続けていました。一方休みの時には、安い航空会社やバス旅行の方法などを駆使して、ドイツ国内のみならず西や東ヨーロッパ、ロシア、北アフリカ、中東、インドなどの色々な所に旅行をしました。

―留学で身につけた能力はどんなことですか

研究能力を高めること自体は、日本でもドイツでも、素晴らしい教授や研究室に出会えたら可能だと思います。

留学で得られることで特筆すべきはやはり、自分の知らない国で、きちんと研究を一つの成果としてまとめあげることによって得られる自信や、異文化交流で鍛えられるコミュニケーション能力などではないでしょうか。

―ドイツでは、博士課程の学生でも給料が研究室から支払われるので、一人前の研究者として扱われ、相応の成果が求められるということが日本と違う点の一つです。

さまざまな主義主張が錯綜する異文化の中でサバイバルしてきた経験は、日本国内でも、多様化する組織のマネジメントをする立場できっと役に立つと思います。

博士課程の研究成果が出始めた頃、ドゥルスト教授に将来何になりたいかを聞かれ「大学の先生になりたい」と話したら「旅費は出してあげるから、日本で行きたい大学を5つ選んで、研究発表をしてきなさい」と言われました。そのため、知り合いの有無に関わらず、魅力的に感じた研究室にメールを送って連絡を取り、道場破り的に就職活動の行脚をしました。そのご縁が基となり東京大学工学系研究科の笠木・鈴木・鹿園研究室でポスドクとして研究することが決まりました。

また別の機会にドゥルスト教授に「定年まで安定したポジションが欲しい」と話したら「全然急がなくていいよ。きちんと頑張ってさえいれば、必ず次の道が見つかるから。今から定年までの心配をしてどうするの」と諭されました。それはドイツ人の感覚でしょうが、私も二人の子供を出産するまではそれに近い気持ちで気軽に転職を繰り返しました。

―後輩にアドバイスがあれば

留学なら語学が何より大事と思われがちです。しかし、修士号や博士号を取るための留学は、まずはしっかり基礎科目を身につけておくことが大事です。例えば機械系だと四力学(材料、流体、熱、機械)でしょうか。学士留学でしたら、高校までの数学、物理、化学などです。

私もドイツに行ってから中国人やインド人の友達と喋ることで英語が上達したと思う部分もあります。現地の語学は、簡単な日常会話ぐらいできた方が、新しい生活の始まりがスムーズだろうと感じますが、ものすごく上手である必要はないと思います。また、おしゃべり好きの方が語学の上達が早そうですので、海外ではより楽しく暮らせるのではと思うことがあります。特にドイツでは「察してくれるはず」は通用しないので、日本で不躾に思われるぐらい率直に思ったことを話すぐらいでないと、上手く行かない事があります。

―ドイツ語が少しでもできれば交流が豊かになり、研究もよく捗るのではないかと思います。

私が学んだ修士課程の国際コースや世界中から研究者が集まった流体力学研究室では、ドイツ語を全く話さなくても研究が進められる環境でしたし、現にそんな同級生や同僚もいました。しかし、ちょっと技官の方に実験部品をつくってもらう時など、ドイツ語が少しでもできれば交流が豊かになり、研究もよく捗るのではないかと思います。

そして留学時に限った話ではありませんが、誰に対しても誠実であること、その上で研究を地道にコツコツ頑張ることが大事と思います。そうして研究成果があがってくれば、国内外を問わず自然とみんなから頼られる存在になることでしょう。

(2023年11月13日 オンライン・インタビュー)

プロフィール:西 美奈(にし・みな)

(写真:西さん提供)
(写真:西さん提供)

一般財団法人 電力中央研究所 上席研究員

奄美大島出身。同志社大学エネルギー機械工学科卒業後ドイツに留学。2004年、エアランゲン大学(フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルク)化学工学科修士課程修了。2009年、同流体力学研究室にて博士号取得。その後帰国して、東京大学大学院工学系研究科特任研究員、産業技術総合研究所研究員、慶應義塾大学専任講師等を経て、2017年(一財)電力中央研究所特定主任研究員、2021年同主任研究員、2023年より同上席研究員。

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更新日: 2024年4月16日